日記のようなエッセイのような

タイトル通り日記やエッセイ。頭の中の記録。

浜崎あゆみさんのマイノリティー

昨日、ブログに書いたLGBTのイベントで浜崎あゆみさんが語ったこと。

 

「まだまだ日本はコンサバティブ(保守的)ですから、マイノリティーが間違い、社会的弱者というイメージが拭えないという部分はあります。でも、マジョリティーが勝ち組で正しいということはないと私は思っています、これから先も生きるのに肩身が狭くなったり諦めたりする瞬間があると思いますが、この日のことを思い出してください。ずっとずっと自分に誇りを持って進み続けていってほしいと思っています。私もマイノリティーのひとりとして、みなさんと一緒にこれからも一緒に歩ませていただきたいと思っています」

 

とても共感して素晴らしいと思ったのですが「私もマイノリティーのひとりとして」の部分がなぜだろうと疑問に思っていました。

これについて詳しく書かれているのをその日の夜中にtwitterで見つけて納得しました。

女性が意見するとオピニオンリーダー気取りかと言われるとFacebookで告白しているそうで、女性である事でそういう目に遭う経験から女性というマイノリティーとして異性愛優位社会の中のマイノリティーであるLGBTと共に歩もうと呼びかけていると。

(引用させていただいたけど元のtweetの方が分かりやすい⤵︎ブログでの他所様のtweetの扱いがわからなくて要約させていただきました。すみません…)

「女性」であるということだけで受ける屈辱。

だいぶ意識は変わってきたとは言えまだまだ世の中にはたくさんありますね。

浜崎さんがこの活動にこれからも積極的に参加して何か大きな変化をもたらすことを期待したいです。